2019年5月20日月曜日

脱消費時代の到来 「飽き」から来る「生産」

かつて日本は大量生産大量消費でした。昨今、若者の車離れを代表に〇〇離れが言われています。総じて消費離れと言います。

私も消費をなるべくしません。というかできません。フルタイムで労働しているにも関わらず年収が300万円に満たないです。物価や税金が上がっても給料は上がらないので生活が苦しくなっていきます。車なんてもはや贅沢品なのです。

しかし、消費をしなくなった本質的な理由は「飽き」なのではないかと思います。
車などはそもそも買えないし物はもう十分だ、と。
消費すること自体に飽きたのでは。
これについて特段データはありません。私の感覚です。

さらに、私は私自身何も生産することができずただただ消費するだけで恥ずかしくもなってきます。私は消費だけすることは「恥ずかしいこと」や「無意味なこと」という感覚です。

(東洋経済の記事では若者が不景気しか知らないのでコスパを重視するとかそもそも物欲がないとか書いてありました。)

そこで若者は生産にシフトしだしたのではないのか。

「飽きた」から何か「楽しい」ことや「思い出」になること、「記憶の残る」ことをしたい。物質的な物には飽きたわけですから感情的なものをと。

そこで出てきたのが動画制作ではないのか。ニコ動やYouTubeといった動画サイトに自分で編集した動画を投稿し広告が掲載されることで利益を生む。アクションカメラなどツールも充実してきました。簡単に編集できて簡単に世界へ配信できます。生放送も簡単です。

しかし、問題が発生します。消費することは簡単でも生産すること(利益を出すこと)は相当難しいのです。同業者も多く差別化をしないと利益を出せないです。

すると、動画の内容を過激にすることで閲覧数を稼いだり、逆に動画が量産されることで質が低下します。動画やフェイクニュースで社会的問題に発展するのはこれが原因ではないかと思います。

いずれ、これらも「飽き」が来るのでは。そうなったら次に来るのはなんだろう。

ちなみに私はYouTuberの類はもう飽きています。

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